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2019-09-25

”アドリア海の真珠” ドブロブニークのこと

町に恋をした

町に恋をした。

ひとめぼれのような恋だ。

十数年以上も前、ある雑誌のグラビアで初めて目にした時以来、その美しい町のイメージは脳裏に深く宿り、時おり幻影のように目の前に現れては私の心を悩ました(今のようにネットで簡単に画像が見られる時代ではなかった)。

いつの日か逢瀬を実らせようとうかがっていたところ、突然その町は戦禍に巻き込まれた。

昨日まで仲良く暮らしていたひとつの国の住民が、敵と味方とに分かれて互いに殺しあう悲惨な戦争だった。

その町も殺し合いの舞台となり、数え切れないほどの砲弾をあびた、と聞いた。

やがて戦火も静まり、不十分ながらも一応の平和が訪れた。

私は、今はクロアチアという国に属しているその美しい町に、ついにめぐり合う時がやって来たことを知った。

町の名はドブロブニーク。

人は称賛をこめて「アドリア海の真珠」とも呼ぶ。

世界一美しいアドリア海

クロアチアの首都ザグレブから飛び乗った19時発の夜行バスは闇の中をひたすら突っ走った。

どのくらい眠っていたのだろうか、夜がしらじらと明ける頃、まどろみながらふと窓の外に目をやると、そこには暁(あかつき)のアドリア海が広がっていた。

入り江のヨットハーバーに朝日が差し込み、白壁の家々がゆっくりと呼吸をし始めていた。

朝焼けにきらめく無数の波光。

かなたに霞むいくつもの島影。

「アドリア海は世界一美しい」と、誰かが本の中で書いていたのを読んだことがあるが、まったくその通りだと思った。

セルビア人の家に民泊する

午前10時、終点のドブロブニークに降り立った。

バスから降りたとたんに、数名の客引きが群がってきた。

アジアかアフリカの貧しい国ならまだしも、ヨーロッパの町では珍しい光景だ。

私は客引きの中のひとり、人の良さそうな中年のオバさんの後に従うことにした。

オバサンの車はかなりオンボロで、ドアがこわれていて、中から手で強く引っ張っていなければ勝手に開いてしまう有様だった。

私は、高台にある一軒の民家に連れて行かれた。

ホテルやペンションといった看板はどこにもない。

どうやらこのオバさん、自宅の一室を宿がわりに旅行者に提供しているらしい。

いわゆる民泊というやつだ。

荷物を降ろすなり、台所にいた亭主が手招きした。

ウオッカ片手に赤い顔をした亭主は、朝っぱらから私に酒の相手をさせるつもりだ。

亭主が手にしたキリル文字の新聞や、私にすすめてくれたコーヒー(トルココーヒーなどと呼ばれ正教圏で飲まれている独特なもの)などから判断するに、どうやらこの一家はセルビア人(クロアチア人と戦った敵方の民族)で、話題はユーゴを空爆したアメリカの批判であるようだ。

この土地を旅するときは、政治や民族の話題はタブーだときいていた。

モザイクのようにさまざまな民族や宗教が複雑に入り乱れているこの地で、旅人が安易に政治の話題でも持ち出そうものなら、たちまちトラブルの原因になりかねないからだ。

ドブロブニークの町を歩く

その日の午後、私は長い間、恋焦がれていたその町の古い城壁の上に立っていた。

眼下にはコバルトブルーに透き通ったアドリア海が広がっていた。

遠い遠いその昔、まだ車も飛行機もない時代に、この町は地中海貿易の拠点として繁栄の頂点を極めたことがあった。

今はまるで時間が止まってしまったかのようにひっそりと静まりかえった港の船着場。

人影もまばらな突堤。

海かもめの虚ろな鳴き声。

しかし、私の眼には見えるような気がした。

貿易品を山積みにしてこの港に停泊する帆船たちの勇壮な姿や、東方からの珍しい品々を前にしきりと値踏みをする商人達の賑やかなざわめきが…

数百年の時間の流れの中で、この町に栄えそして滅んでいった、数あまたの見知らぬ人びとのことを想いながら、私は、城壁の上を巡り、迷路のように入り組んだ路地裏をさまよった。

まるで過去と現在とが交錯するようなこの古い町の、とある辻を曲がった瞬間、誰かが耳もとでささやきかけたような気がした。

「お前の人生の栄えの時など、ほんのつかの間、あのアドリア海の波光の一瞬のきらめきのようなものだよ…」と。

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