ベネチアの魅力について
「ベニスに死す」
ベネチアほど官能的な都はない。
たゆたう運河の水辺。
きらきらと輝く無数の波光。
まるで黒ずくめの老貴婦人のようなゴンドラ。
そして深い歴史を無言で語る石畳の小道…
そんなベネチアの魅力を、あますところなく伝える映画に、ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」がある。
ベネチアに休暇でやってきた老芸術家(映画では作曲家のマーラーという設定になっている)が、やはりバカンスでこの町に滞在している美少年に一目ぼれをし、彼の後をさんざつけまわしたあげく、折から町に流行する疫病の犠牲になってしまう、というストーリーだ。
こう書くと、単なる「変態スケベじいさんのストーカー行為」を描いただけの映画、と思われるかも知れない。
しかし、「完璧なる肉体の中に未熟な魂が宿る」というパラドックスや、「肉体の美に対する老練な精神の敗北」…といった人間性の深奥に迫るテーマを扱っていて、実はとても興味深い作品である。
さらには、朽ちゆく老作曲家の肉体を、栄華を終えて翳(かげ)りゆくベネチアの都に重ね合わせて描き、全編にマーラーのアダージョを流すところなど、さすが貴族の末裔であるヴィスコンティの真骨頂といえよう(ミラノのヴィスコンティ家といえば歴史に名をとどろかせる名家だ)。
私はこの映画を見て、かの地を訪れて以来、妙な宿業を背負うこととなってしまった。
まるで「パブロフの犬」の条件反射さながらに、マーラーのアダージョを聴けばベネチアの運河が眼前に浮かび、ベネチアの運河に揺られればマーラーのアダージョが頭の中をかけめぐるのである。
トーマス・マンを片手にベネチアを歩く
ところで、「ベニスに死す」はドイツの文学者トーマス・マンの原作によるものである。
小説の舞台になっているのは、観光客があふれるベネチア本島ではなく、ヴァポレットというバス代わりの乗り合いボートで少し行ったところにあるリドという島だ。
ある時、ベネチアを訪れた私は、トーマス・マンの原作を片手に、このリド島へと渡ってみた。
そして主人公が滞在したことになっている「海浜ホテル」が本当に今でも存在するのかどうか気になり、あちこち探してみた。
しかし「海浜ホテル」は架空のものだったのか、それとも潰れてしまったのか、知らないが、どこにも見つけることができなかった。