パリで泥棒にあった話、エジプトやスリランカで騙された話
パリではスリと詐欺にご用心!
フランス旅行の時のこと。
パリ市内をノートルダム寺院へ向かって移動中に、メトロ(地下鉄)の車内で、同行の義理の両親が二人同時に財布を盗られてしまったことがある。
財布が無いのに気付いたのは、メトロを降り地上に出てから、ノートルダム寺院を見上げたときのことなので、もはや後の祭りである。
すぐ脇に立っていた私と妻は幸いにも無事だった。
車内が少し混み合っていたので、二人ともそれなりに警戒はしていたらしいが…
悔しさを通り越して、あまりの見事なスリの腕前に脱帽するしかなかった。
また、パリ最終日のこと。
空港へ向かう列車の切符の買い方がわからす自動券売機の前でマゴマゴしていると、親切そうな兄ちゃんが近づいてきて、
「これはカードじゃないと買えないんだよ。自分が代わりに買ってあげるよ。」
と言って、自分のカードで我々全員分の切符を購入してくれた。
私はその兄ちゃんに、所定の額の現金を渡し、礼を言って別れた。
何となく嫌な予感がしていたが、終点の空港駅についてみて、その予感が的中した。
切符は全て一駅分だけのものだった。
差額はすべてあの詐欺の「今日の稼ぎ」になってしまったわけだ。
日本があまりに安全な国なので、とかく日本人は日頃から警戒心が薄く、海外へ出るとこの種の詐欺や泥棒の被害に会いやすい。
旅慣れている私でさえ、これまでに何度もこうしたヤカラに授業料?を支払ってきた。
南仏マルセイユで身ぐるみ剥がされた!
私がこれまでに支払った授業料?の中でも、最も高かったのは、忘れもしない20年以上前、南仏のマルセイユで大きな荷物を丸ごと全部盗まれてしまった時のことだ。
そのとき私は、日本から船でロシアに渡り、そこからシベリア鉄道やバスを乗り継いで、最終目的地のイギリスを目指す「ヒコーキを使わないでユーラシア大陸を横断する旅」の終盤にさしかかっていた。
私はシベリア鉄道でロシアを横断し、北欧、ドイツ、スイスを経由して、南仏の港町マルセイユに降り立った。
太陽の光がさんさんと降り注ぐ南仏コートダジュールのビーチで、一ヶ月以上におよんだ旅の疲れを癒そうという魂胆である。
鉄道でマルセイユの駅に到着した私は、ニースへ向かう前に、この街の名物ブイヤベースを食べようと思った。
まず大きなリュックを預け身軽になろうと、駅のコインロッカーに向かったが、そのロッカーは当時の日本にはまだ珍しかったテンキーを使った暗証番号タイプのものであった。
使い方が分からずマゴついていると親切そうな若者がやって来て、懇切丁寧に教えてくれた。
(どうやらこの時、暗証番号を盗み見られたに違いない)
マルセイユの港でブイヤベースに舌鼓を打って、再びロッカーに戻った時のショックは今も忘れない。
暗証番号を入力してロッカーを開けてみると、中はもぬけの殻。
50リットルの大きなリュックがこつ然と消えていた。
残されたのは、身につけていたパスポートと現金だけ。
「身ぐるみ剥がされた」とは、まさにこのことである。
翌日、被害証明を書いてもらうべく地元の警察の門を叩いた。
地元の警官は英語が全く話せないので、身振り手振りと紙に描いた絵によって、盗まれた荷物の中身を伝えるのに半日ほどを費やすことになった。
ところで盗まれた物の中で最も高価なものはソニーのウォークマンであったが、この時ばかりは、その警官が大げさな身振りで「おおっ!ソニー!」と叫んだ事が印象深い。
思えばあの頃のソニーは世界にその名を轟かせていたものだった。
エジプトでラクダ使いにダマされた!
エジプトでは、ラクダ使いとグルになった手配師に見事にハメられた。
私は、あの有名なギザのピラミッドへ行こうとカイロの市バス乗り場にいた。
バスの表示は、まるでミミズが這った後のようなアラビア文字だけで、いったいどのバスがピラミッドへ行くのかまったくわからない。
色々な人に聞いても、親切に教えてくれるのは有難いが、誰もが自信たっぷりにそれぞれ違うバスを指差す。
私はすっかり途方に暮れてしまった。
そんな時だ、スーツ姿の物腰の柔らかそうな男が近づいてきたのは。
帰る方向が一緒ということで、私はその男とバスに乗り込んだ。
男がカイロの有名外資系ホテルに務めているということ、男の流暢な英語、そして車中でさりげなく老人に席を譲る紳士的な態度などは、私にとってその男を信用させるのには十分な材料だった。
互いの国の文化の話などを交わす内に、私達はすっかり打ち解けた。
ピラミッドが近くなって来た時、男は言った。
「ピラミッドを見るなら、地元の人間だけが知っている特別な旅行社を教えてさしあげよう。」
政府系が運営しているから安心だ、というその旅行社は、ラクダの背に乗ってピラミッドを眺めるツアーを提供しているという。
それからおよそ一時間後、私はラクダの背の上にいた。
あのあと、男に勧められるまま旅行社の門をくぐり説明を受け、料金を支払った。
男とはつい先ほど別れたばかりだ。
私は冷静を取り戻して、今までの出来事を思い返していた。
あのまるで農家の納屋のような旅行社はとても「政府系」とは思えない。
それに私が先ほど旅行社に支払った代金。
それは確かに日本では妥当な額だが、エジプトの物価水準で考えると途方もなく高額であることに気づいた。
ヤラれた!と思った時はもう遅い。
私はラクダの背の上、あたりは一面の砂漠。
如何ともしがたい。
私は、自分を騙したあの男と感謝の抱擁を交わした上に、何と互いの頬に友情のキスまで交わしていたのだ。
突然、胃の奥からゲッと込み上げてくるものがあった。
スリランカでもハメられた!
スリランカでは、高価なサフランに目がくらんで見事にハメられた。
そのとき私は西部のニゴンボというビーチリゾートに滞在し、ひとり漁村をブラブラ散歩中であった。
「オイ!お前のこと知ってるぞ!」
とつぜん見知らぬ男が声をかけてきた。
「オレは、お前が泊まってるホテルの厨房で働いてるんだ…」
(後に分かったが、これは真っ赤なウソ)
「ところで、オレはこれから市場へ行くんだが、一緒に行かねえか?」
「この市場じゃあ、サフランがめっぽう安く買えるんだぜ〜」
私は、あの高価なサフランが、地元では安く手に入る…という言葉に思わずクラッとなってしまった。
何しろサフランといえば、ひとつの花からたった3本しか採れないめしべを乾燥させたもので、たった100グラムでも6万円ほどする高級香辛料なのだ。
(こりゃあ、日本への土産に最適だ!)
私は心の中でほくそ笑んだ。
市場へ誘った男は自転車で来ていた。
私はその男の自転車の荷台に乗り、民家が立ち並ぶ路地をくねくねと幾つも曲って、市場らしき所に辿り着いた。
「俺がサフラン買って来てやるから、ちょっとここで待っててくれい」
しばらくして男はサフランらしきモノを紙袋に一杯買って来た。
私は男から言われた代金を支払った。
確かに安い。
男が「ホテルまで送ってやる」と言うので、再び自転車の荷台に乗った。
しばらく走ると、
「おおおっ!用事を思い出した。そこの知り合いの家に届けるもんがあるから、お前はちょっとここで待っててくれい」
先程のように私をその場に残すと、男は自転車で去って行った。
10分が経過した。男は戻って来ない。
20分が経過した。まだ戻って来ない。
30分が経過。いよいよヘンだ。
そして1時間が経過した頃、私はようやく悟った。
自分はたぶんダマされたに違いない、と。
しかし悔しさよりも先に、私は困り果てていた。
こんな所にひとり置き去りにされて、一体どうやってホテルまで戻ればいいのか…
何しろ男の自転車の荷台に乗せられて、迷路のような路地をいくつもクネクネと曲がった先にポツンとひとり取り残されてしまったのだ。
帰り路なんて憶えているはずがない。
仕方なく私は、道行く先で色々な人に尋ねながら、トボトボと1時間以上もかけてホテルまで辿り着いたのである。
もちろん男が買って来たサフランは真っ赤な偽物であった事は言うまでもない。