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2019-03-28

恵那山登山、画家の故郷美濃の山と中山道馬籠宿

パッとしない山

どうも、いまいちパッとしない山である。

別名を舟伏山とも言うように、船を逆さに伏せたような形をしていて、険しいカンジはまったくない。

高さは2018メートルで、まあそこそこ。

特別に高いわけでもないし、低いわけでもない。

じゃあ山頂からの眺めは?

と、言ったら、残念ながら樹々に遮られて、ほとんど期待できない。

…っていうか、なだらかすぎて、そもそもどこが頂上かもハッキリしない。



このようにキワだったものが何処にもなく、どうにもつかみどころがない山。

それが恵那山だ。

朝焼けの恵那山

それでも人びとがこの山を避けて通れない理由は、恵那山が日本百名山のひとつだからだ。

「それにしても深田センセ、どうしてこの山が百名山なのですか?」

深田久弥が生きていれば多くの人が聞いてみたいと思っているはずだ。

(もしかすると百名山ゲッターにとって、恵那山はもっとも印象の薄い山かも知れない)

美濃人の誇り

それでもオレには、わかるような気がする。

恵那山が名山である、その理由が。

それはオレが美濃人だからだ。

恵那山は美濃の人にとっては誇りの山なのだ。

美濃のシンボルなのだ。

古代、近畿と東北地方とを結ぶ官道である東山道がこの山のすぐ脇の神坂峠を通っていた、はるか昔から、旅人たちは、雄大に佇む恵那山の姿を目にしていた。

そして後に、この東山道に変わって中山道が日本の東西を結ぶ幹線となった時には、妻籠宿から馬篭峠を越えて恵那山を眺めたときに、旅人たちは、自分が山深い木曽をようやく通り抜け、美濃の国に入ったことを知ったに違いない。

つまり、恵那山は、長い歴史を通し、東山道や中山道といった日本の大動脈のすぐ脇にそびえる山であったがために、かつては実に多くの人々の目にふれるメジャーな山であったのだ。

その証拠に、島崎藤村は小説「夜明け前」の中で、何度も繰り返し恵那山を描写しているではないか。

そして「日本アルプスの父」とも言われる、かのウェストンも、わざわざ恵那山へやって来て、前宮ルートからこの山に登っているではないか。

(ちなみに恵那山のふもとの中津川市には、ウェストンの胸像が置いてあるウェストン公園もある)


恵那山登山

美濃人でありながら、恵那山に登ったことのなかったオレは、

「こりゃイカン、美濃人の恥じゃ」

と思い、意を決し2007年の夏、4本あるルートのうちの一つ広河原ルートからこの山に挑んだ。

下山途中、登山靴の底がパックリはがれてしまうアクシデントもあったが、なんとか紐で固定して事なきを得、無事登頂を果たしたのであった。

下山した後は、昼神温泉に浸かり、馬籠宿を散策した。

江戸時代の街道の風情が残っている坂道沿いには、恵那山をながめながらテラスでお茶が飲める喫茶店やら甘味処やらが軒を連ねている。

そんな宿場町を抜けて、坂を登り切ったところに、小さな公園があって、そこからは目の前に悠然と広がる恵那山が良く見えた。

きっと江戸時代の旅人も、妻籠から険しい峠を越えて、ようやく馬籠宿の入り口に辿り着いたとき、オレ私と同じ場所に立って恵那山を眺めながら、きっとこうつぶやいたに違いない。



「やっぱ恵那は、ええなぁ~」(お粗末でした!)

      

恵那山登山を記念して、こんな絵を描いてみました
文豪、島崎藤村と「夜明け前」(部分)
名物栗きんとん(部分)
こちらも名物五平餅(部分)

→ 奥村ユズルの作品はコチラから

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