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2018-02-16

ラオス旅行記(4)タイヤに乗って川下り

バンビエン名物のチュービングとは?

 

チュービングとは、ゴム製のタイヤのような大きな浮き輪に乗っかって川を下るアトラクションだ。

 

リバーサイドのカフェでくつろいでいると、上流から次々と浮き輪に乗ったツーリストたちが流れてくるのが見える。

 

 

どうやらこのカフェ周辺がチュービング、すなわち浮き輪下りの終着点であるらしい。

 

それにしても、浮き輪に乗ったツーリストたちは皆一様に楽しそうだ。

 

バンビエンまで来てこれをヤらない訳にはいかない。

 

オレは、チュービングを扱っている旅行代理店らしきところに飛び込んだ。

 

 

700円程度を支払うと、防水製の小さな首下げ袋を渡された。

 

これにスマホやら貴重品を入れろ、ということらしい。

 

しばらくして、トゥクトゥクがやってきた。

これに乗って上流まで移動することになった。

 

トゥクトゥクに乗ったのは全部で5名。

 

オレ以外は全部女性。国籍もアメリカ、イタリア、フィンランドとさまざまだ。

 

30分ほど田舎道を走り、オレたちは4キロほど上流の開けた河原で降ろされた。

 

いよいよチュービングのはじまり

トゥクトゥクのドライバーはオレたちに大きな浮き輪だけを渡すと、

 

「18時までに帰って来い!」

 

それだけ言い残すと去って行った。

 

「あれれ、行っちゃうの?」

 

「インストラクターはどこよ?ガイドはいないの?」

 

河原に取り残されたオレたちは、しばしボーゼンとした。

 

どうやら

 

「勝手に下れ!」

「とにかく下れ!」

 

、、、と、いうことらしい。

 

「オイ!責任者出てこい!」

「安全性は確保されてるのか?」 

「保険はちゃんと掛けてあるのか?」

「説明責任を果たせ!」

 

オレはよほどそう叫ぼうとしたが、、、周りには猿しかいないので止めた。

 

ここはラオスだ。すべてがワイルドなのだ。

 

オレたちはあきらめて、目の前の川をとにかく下ることにした。

 

、、、ってか、下らなければ帰れないのだ。仕方がない。

 

 

オレたちは浮き輪担いでおずおずと川に入った。

 

おわわっ!

けっこう流れが速いやんけ!!

 

思わず気持ちがひるんだ。

 

しかし、米・伊・フィンランド多国籍女性軍の中にあって、日本軍はただオレひとり。

 

ここで日本男児の恥を晒すわけにはいかない。

 

オレは、日の丸を背負った気分になって、エィヤッ!と川に飛び込んだ。 

 

(チュービングの浮き輪とオレ)

 

(こちらは多国籍女性軍)

 

それにしても、見た目よりはるかに流れが早い。

 

タイヤに乗ったオレは、まるで急流に翻弄される落ち葉のように、またたく間に下流へと流されて行った。

 

しばらくしてようやく流れが穏やかになり、気持ちにもゆとりが出てきた。

 

突如としてドイツ軍団と遭遇!

 

彼らはよほど楽しいらしく、浮き輪の上で両手両足を挙げながら、

ひょー!イェーイ!

と、はしゃぎまくっている。

 

 

ドイツ軍に包囲されながら、しばらく下ると、今度は何処からかロック音楽が大音量で流れてきた。

 

こんなジャングルの中でいったい何なんだ?

 

オレは、次に現れた光景に一瞬、自分の耳と目を疑った。

 

うっそうと茂る木々以外、何もない岸辺に、忽然とギンギラギンの華やかなバーが現れたのである。

 

上半身はだかの白人の若者たちが、ビール片手にディスコダンスを踊ったり、目の前の川にダイビングしたりと大騒ぎだ。

 

それは周囲の自然とあまりにもミスマッチした、異質な光景だった。

 

う~ん、このカンジ、まるでコッポラの「地獄の黙示録」で、グラビアガールたちがベトナム兵士を慰問するあのシーンみたいだ、、、

 

そんなことを考えていると、多国籍女性軍もドイツ軍団も、その享楽的なバーに次々と吸い込まれて行った。

 

残されたのはオレひとり。

 

白日夢のようなバーが去ると、あとはひたすら山水画の世界。

 

時折、小さな瀬があらわれて速くなるが、流れはおしなべて緩やか。

 

切り立った山々を真下から見上げ、いくつもの竹橋をくぐり、、、

 

女が河辺で洗濯をし、男が投網をするラオス人の生活を眺めながら、、、

 

オレは、漂うように川を下って行った。

 

 

流れに身をゆだねることおよそ2時間。

 

やがてあのリバーサイドカフェが見えて来た時、ラオスにおけるオレの至福の時間が終わった。

 
(おしまい)
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