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2020-01-17

ただただ意味も無く、てくてくと歩き続けたこと

職質の常連?

二十代前半の頃、私は、オマワリさんの職務質問の常連だった。

べつに怪しいわけでもないのに、駅で野宿していたり、深夜に徘徊していたりすると(十分あやしいか?)、オマワリさんが何処かからやって来て、

「キミキミ、ちょっと身分証明書見せなさい!」

…と、厳しく詰問された。

その頃からオマワリさんはどうも苦手である。

オマワリさんでない場合、私に近寄ってくるのは、一見してヤバそうな手配師風の男であることが多く、その時のセリフは決まって

「にいさん、にいさん、ちょっといい仕事あるで~」

というようなものであった。

ある時など、上野駅の玄関をくぐって改札口にいたるわずか数十メートルの間に、たてつづけに3人の手配師から声をかけられたこともある。

これはいまだに、私の中では「瞬間最多手配師獲得記録」(?)である。

「坂の上の雲」に影響されて、、、

司馬遼太郎は大好きな作家で、若い頃から愛読している。

氏の代表作のひとつ「坂の上の雲」は、途中で頓挫したまま、まだ読みきってはいないが、その第一巻の中に、こんな挿話がある。

まだ若い頃の秋山真之や正岡子規らが、夜語り合っていると、たいした理由もないのに突然思いたって、東京から江ノ島まで歩きはじめる。

誰もが貧しい学生の身分だったので、わずかな金しが持たない「無銭旅行」である。

品川の遊郭街では、みすぼらしい姿をクスクスと笑われ、戸塚の茶店で初めて飯にありついた時にはあまりの疲労のため寝入ってしまったり、、、

それでも彼らは、空腹と不眠と疲労でフラフラになりながらも意味も無く歩き続けるのである。

文中で司馬遼太郎は、

「青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、、、」

と、書いている。

やはり、学生で、ヒマで、エネルギーを持て余していた、二十代始めの頃の私は、この無銭旅行のくだりを読んだとき、やたらと激しく共感をおぼえた。

そこで、同じ下宿の後輩をたたきおこして、

「今から歩こう! とにかく歩いて旅に出よう! 明日の授業なんてどうだっていい。サボっちょおう!」

と、傘とタオルケットだけを持ち、静岡から伊豆へ向かって、てくてくと歩き始めた。

途中、日が暮れたので由井の駅舎のベンチで野宿をした。

翌日はさらに沼津まで歩いた。

また夜になったので、今度は沼津市内の24時間営業の喫茶店でテーブルにうつ伏せになって寝た。

3日目に伊豆半島の修善寺まで達したところで、さすがに精魂尽き果ててギブアップした。

歩いた距離は約100キロだった。

九州でも100キロ歩いた

この「100キロ歩き」は、九州でもやったことがある。

当時住んでいた熊本県の水俣から鹿児島まで、やはり3日かけてただひたすら歩き続けた。

畑の野菜を拝借し(ごめんなさい!)、田んぼで野グソをしながら、ぐいぐいと「行軍」しつづけた。

ようやく鹿児島に着き、もう一歩も歩けない状態で、オールナイト営業のサウナでへたばっていると、変なオジさんが声をかけてきた。

このオジさん、私を何軒もの高級そうな飲み屋へ連れまわし次々とご馳走してくれる。

これはぜ~んぶオレの店だもんね!とのたまうので、「ホンマかいな?」と半信半疑でいると、最後にオジさん私を自分のマンションに招待し、「今からオレの正体を見せてやる」とビデオデッキをセットした。

画面には、「朝のワイドショー」が映された。内容はこうだ。五十年前のある寒い夜、ひとりの赤ちゃんが鹿児島市内に捨てられた。

数奇な運命をたどった後、ついにこの孤児は鹿児島の「キャバレー王」の座にまでのぼりつめた…。

ジャジャ~ン!と派手な音楽が流れ、タキシード姿の小柄な中年の男が数十人のセクシーな美女に囲まれてステージの上で得意げに踊っていた。

よく見るとそれはすぐ横にいるオジさんだったのである。

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