モンゴル・北京旅行記 長城の向こう側とこちら側
モンゴルで乗馬体験
万里の長城を挟んで、壁の向こう側(モンゴル)と、こちら側(中国の北京)とを、駆け足で旅したことがある。
たった8日間の短い日程の間ではあったが、それぞれの国で、「乗馬」と「京劇」という、これまでの自分の人生で縁のなかった二つの新しい世界を体験することができた。
最初に訪れたモンゴルでは、首都ウランバートルから一泊二日の乗馬体験ツアーに参加して、広々とした草原を、馬に乗って駆けた。
もっとも私は、乗馬はほぼ初めてに近かったので、実を言うと、落馬して骨の一本や二本は折ることになるかもしれない…とヒソカに覚悟していたのだ。
乗馬ツアーといってもまったく名ばかりで、参加者はなんと私ひとりだけ。
インストラクターの方も、どこからどう見ても、その辺りで馬を乗り回しているフツーの遊牧民のオバさんと変わりがない。
それに、この遊牧民のオバさんは、かなりテキトーなもので、私が馬にまたがるなり、
「ええっと…右手にこれをもって、左手にはこれをつかんで…ホイ行きなさい!」
というカンジである。
オイオイ、「行きなさい」と言われても、止まる時はいったいどうすりゃあエエんじゃい!
ヘルメットもブーツもないんかい!
落馬したらどうしてくれる!
ホントに保険はかかっているのか?
と、こっちも必死だ。
…でも、まったく言葉が通じないのでどうしようもない。
もう少し懇切丁寧に指導されることを期待していたが、どうやらこれがモンゴル流であるらしい。
いまだに馬が主要な交通手段のひとつとなっているこの国の人々にとっては、この世に馬に乗れない人種がいることを理解すること自体が無理なのかも知れない。
おそるおそる始めた乗馬であったが、二日目の午後にはついに、ほんの一瞬だけではあるが「駆け足」(ギャロップ)まで体験することができた。
青々とした草原で、遊牧民のゲル(移動式住居)を横目に、風を切って走る気分は何とも爽快なものだった。
このままどこまでも駆けていってしまいたいような…
ユーラシア大陸の大部分を手中に収め、歴史上かつてない大帝国を築いてしまった、この国の先人たちの気分がなんだかちょっとだけわかったような気がした。
乗馬体験の途中では、遊牧民のゲルを訪問して馬乳酒をいただいた。
ウランバートルの劇場では、ホーミーや馬頭琴を使った伝統音楽を満喫した。
かつてのチンギス・ハーンの一族たちの栄光の面影は、この国のどこにも残ってはいない。
それはまるで草原のかなたに消えた、夢か幻であったかのようだ。
北京で京劇にハマる
モンゴルの何もない草原から、今度は一転してヒトがひしめき合う北京の大都会にやってきた。
いったいどこから、次から次へとこんなにヒトが湧いてくるのだろう、と思った。
ヒトの波、自転車の波(当時はまだ自転車が庶民の足の主流だった)の中を泳ぐようにして、北京の町をまわった。
「せっかく北京まで来たんだから、やっぱ、これだけは押さえとこ」
と、ごく軽い気持ちで京劇の劇場の門をくぐったのだが、そのあまりの面白さに身体も心もブッ飛んだ。
シェークスピア劇も歌舞伎もミュージカルも、この京劇の面白さにはかなわない、と思った。
梨園劇場、湖広会館、老舎茶館…
結局、北京に滞在した3日間のあいだ毎晩通いつめてしまった。
猥雑な路傍から一歩入り込むとそこには、あたかも竜宮城にでも迷い込んだかのような夢幻的空間が広がっている。
案内されるままテーブルにつくと、ほどなくしてチャイナドレスをまとった艶やかな女性が、幾種類もの菓子とジャスミンティーを運んでくる。
劇場内のあちらこちらに施された見事な装飾や、華麗な調度品の数々を眺めつつ、悠然と茶をすする。
やがて幕が開き、舞踊や音楽、そして見事な立ち回りなど、さまざまな要素が一体化した絢爛たる舞台がはじまる。
あまりの夢見心地に、
「ムムッ?自分はもしかしたら、極楽にでもいるんじゃないだろうか?」
と、頬をつねってみたら、やっぱり痛かった。
つい昨日までは、長城の向こう側の世界で、遊牧民のシンプルな生活に憧れていたのに、今日は、ここでこうして中国4千年の歴史と文化の結晶のひとつともいえる、京劇にどっぷりとつかっている自分がいた。
終わってみるとこの旅は、万里の長城という長大な壁を挟んで、何千年もの長いあいだ激しく対峙し合ってきた二つの世界、「騎馬・遊牧民の世界」と「農耕民族の世界」、そしてそれぞれの代表的な文化である「乗馬」と「京劇」とを両方まるごと体験する旅になっていた。
そしてその両者とも、私にとっては等しく同じくらい心ひかれるものだった。