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2019-07-06

トルコ旅行記 じゅうたん売りの話

古代ローマ遺跡の町エフェソス

トルコのじゅうたん売りの話をしよう。

その男は、自分をトシオと名のった。

日本人ではない。

トルコ人だ。

男が、黒沢年男とかいうタレントに似ていることから、どうやら日本人観光客の誰かが、名づけたニックネームであるらしい。

私は、古代ローマ遺跡を見るために、トルコ西南部にあるエフェソスという小さな町を訪れた際、このトシオと名のるトルコ人の経営する宿に泊まることになった。

最初にこの町にバスで降り立った時、小太りの妙に調子のいい客引きが転がるようにしてまとわりついてきたのが発端だ。

「ワタシノナマエ、ジローサンネ!」

「ワタシ、ニホンジンダイスキ、ワタシノホテル、ヤスイヨ」

トルコの片田舎で、ほんの片言ながらも思いがけず日本語を聞いたことで、私は不思議な安心感を抱いた。

何しろ、イタリア、ギリシア、トルコと、エーゲ海を島づたいに船で旅する目的で、日本を離れてから、もう一ヶ月になろうとしていたのだ。

私は、坂上二郎とかいうタレントに似ていることから自らをジローと名のる、この奇妙な客引きの後に従うことに決めた。

親日家トシオの宿

宿の主トシオは、とてもフレンドリーな50代の親日家だった。

着いたその日に彼は、その町でも特に評判がいいというレストランへ私を誘い、ご馳走してくれた。

翌日は、世界七大不思議のひとつと数えられたアルテミス神殿の跡地を、トシオ自らがハンドルを握って案内してくれた。

さらにその翌日も、またその翌日も、トシオの親切なサービスは続いた。

他の部屋にはオーストラリア人やらアメリカ人など他国の旅行者も多く泊まっているにもかかわらず、何故、自分だけがこのような特別な待遇を受けるのかと、私は少々訝(いぶか)しい気持ちになった。

トルコの絨毯(じゅうたん)屋

このトシオも、他の多くのトルコ商人の例にもれず、宿の別室で小さな絨毯(じゅうたん)屋を経営していた。

実は、私は旅の間中、こうしたじゅうたん屋のしつこいほどの販売攻勢にかなりまいっていたのだ。

彼らの手口はおおよそ同じである。

まず、町をぶらぶら歩いていると親しげに声をかけられる。

「まあ、自分の家にでもよってお茶を飲んでいけ」

と、誘われる。

行ってみると何とそこは、じゅうたん屋。

出されたトルコ紅茶をすすっていると、しばらくして男がいそいそとじゅうたんを広げ始める。

紅茶を飲み干すと、すぐにお代わりが注がれる(トルコのティーカップはとても小さい)。

三杯目、四杯目と紅茶が進むに連れて、話題は次第にじゅうたんの特徴から、値段のことに移って行く。

「二人の友情のシルシに、じゅうたんでも一枚どうだい?安くしておくよ」

私は、思いがけない展開に、

「私は、じゅうたんには興味がない!」

と、憮然(ぶぜん)とした面持ちで席を立つ…

以上のようなパターン化された一連の出来事が、何度繰り返されたことだろう。

私は、トルコで少々人間不信に陥っていたのだ。

トシオだけは信用できる?

しかし、このトシオばかりは違った。

じゅうたん屋を経営してはいたが、決してじゅうたんの話を持ち出そうとはしなかったのだ。

ある晩、彼はひとりの日本人女性からの手紙を私に見せた。

そこには、トシオに思いを寄せつつも、国境を越えた愛ゆえにそれ以上に踏み出すことのできない苦しい心境が切々とつづられていた。

うつむくトシオの淋しげな横顔を見た時、私は、トシオの日本人に対する一連の親切な行為の背景にあるものがわかったような気がした。

エフェソスを去る最後の夜がやってきた。

トシオは、じゅうたんの置いてある部屋に私を招いた。

そして何と、彼は私の目をまっすぐに見て、静かにこう言ったのだ。

「私たち二人の友情のしるしに、じゅうたんでも一枚どうかね…」

「・・・」

これには正直言ってまいった。

まるで、勝利を目前にしてふいに急所を突かれ、もんどり打って倒れ込んだ格闘家のような心境だった。

トシオのこれまでの私への好意と一枚10万円のじゅうたん…。

私は何度も首をタテに振ろうかと迷った。

実に実に重苦しい時間が流れた。

しかし私は何とかギリギリのところで踏みとどまり、しぼり出すように言ったのだ。

「残念ながら、私はじゅうたんには興味がないのだよ…」

次の日が、誰ひとりとして見送ってくれる人のいない、淋しい旅立ちの朝になったことは言うまでもない。

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