シベリア鉄道、アルプスのベルニナ線、最悪の列車旅のこと
シベリア鉄道の旅
はてしなく広いシベリアの大地を、列車で延々と横断したことがある。
いわゆるシベリア鉄道というやつだ。
横浜から船でロシアに渡った後、東の果てのナホトカから列車に乗り込み、モスクワを経由し、はるかフィンランドのヘルシンキまでたっぷり8日間。
その間、風呂にも入れない状態で列車に乗り詰めの毎日だった。
はじめの頃は、海のように広大なバイカル湖に、子供のように興奮した。
しかし、そのうち窓の外は、タイガと呼ばれる針葉樹林ばかりの単調な風景がどこまでもどこまでも、うんざりするほど続くようになり、朝起きて外を見るたびに、
「ああ、またか…」
と、ため息ばかりついていたものだ。
それでも、列車の旅は好きだ。
車窓を次々と流れていく、見知らぬ山や河、町や村。
その中の人々のくらし。
子供たちのいきいきとした表情。
列車は「動く劇場空間」である。
私は異国の珍しい風景の中を、一介の観客として流れていく。
私は、車窓というスクリーンに映し出される、初めて見る世界に胸をときめかせながら、勝手にさまざまな想いをめぐらして遊ぶ。
「もし自分が日本ではなく、この土地に生まれ落ちていたとしたら、いったい今頃どんなくらしをしているのだろうか?」
…と。
インドの列車
これまで世界各地でさまざまな列車に乗った。
アンデスの高山鉄道。
中国の鉄道。
台湾を一周する鉄道。
すさまじいのは、やはりインドの鉄道だ。
通路や出入り口はもちろん、頭上の網棚にまで人がひしめき合っている。
おまけに何故かニワトリや山羊までがちゃっかり乗り込んでいたりして、ちょっと油断をすると、たちまちに自分の座るわずかなスペースさえ奪われてしまう。
インドの列車はまさに体力勝負のサバイバル争奪戦である。
最悪の列車旅
ところが私の中での「最悪の汽車旅」はインドではなく、スペインを南下する鉄道だった。
そのとき私は、ジブラルタル海峡を船で渡って、クリスマスをモロッコで迎えるべく、スペインの南端へ向かう夜行列車に乗り込んだ。
しかしこの夜行列車は、ヨーロッパ中で出稼ぎをしていたモロッコ人達が、年末年始休暇を母国で過ごすためにいっせいに里帰りをする、殺人的超満員状態の集団帰省列車であったのだ。
テレビやラジカセといった大荷物(家族への手土産)を山のように抱えこんだモロッコ人たちが通路にまであふれてうずくまり、座席が空いていないどころか、腰をおろす隙間さえない状態。
恐ろしいことに、トイレの方も汚物が外にあふれ出ていた。
仕方なく私は、唯一すいている(暖房がきいていないから)食堂車の座席の上で、ありったけの服を着込んで、南極越冬隊のごとく息を白く凍らせながら朝まですごした。
列車が海峡の町に到着すると、今度は殺気立った乗客が、われ先にと船乗り場に殺到した。
ジブラルタル海峡をアフリカ大陸へと渡る、フェリーに乗るためだ。
このフェリーを逃すと、今日の内にモロッコへたどり着くことは出来ない。
切符売場では、あちこちで、ひしめき合う客らの間でこぜりあいの喧嘩がはじまった。
私は身の危険さえ感じた。
その場を逃れようとした瞬間、目の前に、殴られて血みどろになった男が倒れこんできた。
この時にはさすがに、ナポレオンではないが「ピレネーの向こうはアフリカか…」と思ったものだ。
アルプスのベルニナ鉄道
一方、私の中での「汽車旅ベストワン」といえば何といっても、かのトーマス・クック社も推奨する「ベルニナ急行」である。
これは、イタリア北部のティラノという町からベルニナ峠を越え、スイスのサンモリッツまでいたる、アルプスの山河を贅沢なまでに堪能できる実に美しい山岳鉄道である。
出発してしばらくは羊たちがたわむれるなだらかな緑の丘を次々といくつも越えていく。
やがて列車は、スイッチバックを何度も繰り返しながら、だんだんと高度を上げ始める。
さきほど通り抜けたばかりの小さな村が、どんどん眼下に小さくなっていったかと思うと、突然、深いコバルトブルーの水をたたえる神秘の湖があらわれる。
あまりの美しさに息をのんでいると、次は長いトンネルだ。
その先はというと、いちめん真っ白な銀世界。
目の前に圧倒的な迫力で氷河が迫り、あとはもう終点までいっきに、右も左もアルプスの峻厳なる白き峰々の、これでもか!といわんばかりの饗宴。
わずか数時間の間に、これほど美しい風景が凝縮された、夢のような汽車旅を、私はいまだ他には知らない。