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2019-08-08

ヒマラヤの旅芸人

ヒマラヤトレッキングで出会った光景

もう、かれこれ20年前の話になるが、ヒマラヤの山中を歩いていて、旅芸人の巡業に出くわしたことがある。

私は、そのとき、ネパールのランタン渓谷を一週間かけてトレッキングすべく、首都カトマンズからオンボロバスに10時間揺られて、ヒマラヤの麓の村シャブルベンジに辿り着いた。

シャブルベンジに一泊した翌朝、大きなリュックに、食料やら水やら、寝袋やらダウンジャケットやらをいっぱいに詰め込んでトレッキングを開始した。

歩き始めて約2時間、山裾の斜面に開かれた小さな村にさしかかった時のことだ。

村の方角からトントコ、トントコ…と太鼓の音が聞こえてきた。

いったい何事かと思いつつ村に近づくと、村をつらぬく道の真ん中に大きな人の輪があるのが見えた。

私は、人だかりをかきわけるようにして中をのぞいて見た。

そこには、貧しい身なりの男と少年と猿がいた。

男たちは旅芸人の一家で、村人たちは総出で、男たちの巡業を出迎えているのである。

男が奏でる太鼓のリズムに合わせて、少年と一匹の猿とが掛け合いで、逆立ちしたり後方転回したりと、さまざまな芸を披露していた。

一方、それを食い入いるように見つめる、子供たちの瞳はきらきらと輝き、年老いた女や畑仕事帰りの男たちは、皆一様に腹を抱えて笑い転げていた。

テレビが無い、ヒマラヤ奥地のひなびた村にとって、こうした旅芸人の巡業は、きっと大きな娯楽のひとつなのだろう。

そこには、私の住む日本では、忘れられて久しい、のどかで幸福に満ちた光景があった。

旅芸人をテーマに絵を描く

旅芸人や、吟遊詩人、巡礼者…といった、旅をしながら生活している人たちの世界を時おり絵に描いている。

現代のように交通や通信手段が整備されていなかった昔、大部分の人たちは一生の多くを、生まれ育った場所からほとんど一歩も出ることなく過ごした。

風のようにやってくる旅芸人や巡礼者が語る、遠い異国の珍しい物語の数々は、どんなに人びとの日常に潤いをもたらしたことだろうか。

旅芸人の人形使い
町角の神秘と憂鬱
旅芸人の一座

旅芸人は絶滅したか?

しかし、テレビやインターネットの急速な普及によって、旅芸人はもはや絶滅したといっていい。

今は、どのような人里離れた僻地に住んでいようが、通信環境さえ整っていれば、居ながらにして世界のあらゆる情報にアクセスできる時代だ。

スマホで検索すれば、知らない世界のことは何でもすぐに調べられるので、旅芸人が語る物語はまったく必要がないのだ。

あの時に旅をしたヒマラヤ奥地の村々にも、こうした時代の変化の波は押し寄せているのだろうか?

それともいまだに、旅芸人がひそかに息づいているのだろうか?

旅芸人は絶滅しても、私たちは、旅芸人のような生き方、寅さんのような生き方に、どこかであこがれを抱いている。

どんなに通信や移動の手段が進歩しても、私たちの多くは、一年に数回、せいぜい1泊か2泊かの温泉旅行に出かける以外は、家族や会社といったさまざまなしがらみにがんじがらめになって窮屈な日常を生きているのだ。

ところで、ヨーロッパにもジプシー(ジプシーは差別用語に当たるとして、最近はロマという言葉が使われることが多い)という旅する民族がいる。

私は、貧しいジプシーの子供に、一度はローマでポケットの中に手を入れられ、もう一度はフィレンツェでウエストポーチを開けられた。

幸い、どちらも被害はなかったが、私と彼らとの数少ない一瞬の出会いはこのように決して幸福なものではなかった。

トントコ、トントコ…

今でも目を閉じると、ヒマラヤの谷間にこだます、旅芸人の太鼓の音が聞こえてくるような気がする。

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