インドで赤痢になった話、パリの世界一安いフルコース料理店のこと
インドで赤痢に罹ったこと
旅先ではいつも、その土地の庶民が食べているものを食べることを基本としている。
インドへ行っても、ハエがぶんぶん飛び回っている小汚い食堂へ、平気でズカズカと入り込んでいっては、インド人に混じって手づかみでがつがつと飯 をかき食らう。
しかし、最近はさすがに生水だけには気をつけている。
20代のはじめに、初めてインドを旅した時、生水が原因でひどい目にあったからだ。
約三ヶ月間のインド放浪旅を終え、東京の友人宅に転がり込んで毎日遊び 歩いていた私のもとに、突然白い防護服のようなものに全身をつつんだ男達 が、消毒用の噴霧器を担いでやって来た。
男達はホースの先から、プシューと白い霧を放出して、友人の部屋をくまなく消 毒すると、私を両脇から抱えるようにして車に乗せ、都内の伝染病院へと連行 していった。
私は赤痢に罹っていたのだ。
結局、この日から20日間を、隔離病棟の一室で、コ ンクリートに囲まれてすごすはめとなった。
チベットの激辛マーボー豆腐
チベットでも、食べ物では大変な目にあった。
夕食に食べた超激辛マーボー豆腐がたたり、一晩中モーレツな下痢と吐き 気でもだえ苦しんだ。
朝方どうにもたまらなくなって、ホテルのフロントに タクシーを呼んでもらい、小さな診療所へ駆け込んだ。
言葉の通じない中国人の医者に、どうやって症状を説明しようかとさんざん迷っ たあげく、
「激辛麻婆豆腐,腹激痛,激的…」
と、「激」の字をいくつも並べて紙に書いた。
これで通じたのかどうか知らないが、その中国人医者は真っ黒な丸薬を調合してくれた。
それは見るからに怪しげであったが、さすが中国四千年の歴史、とにかく私の腹痛は治まったのである。
イスタンブールでも腹痛!
一人旅の途中で病んだときほど心細いことはない。
イスタンブールでもいかにもヤバそうな安食堂で、ガラスケースの中にたったひとつ残った、いかにもヤバそうな料理を食べたら、案の定ひどい腹痛に襲われた。
この時は病院には行かず、ホテルの部屋に閉じこもって丸一日絶食して治した。
ベッドの上でひとり悶え苦しみながら眺める、窓の外のマルマラ海は、まるでわが身を象徴するように哀しげであった。
パリで世界一安いフルコース料理を食べる
パリというのは私の大好きな街のひとつで、もう何度も訪れているが、残念なことにフランス料理と呼べるものには、これまでまったくもってして縁がない。
いつもフトコロが寂しいので、レストランには入らずに、スーパーや市場で手に入れた野菜やらハムやらをフランスパンに挟んで、かじって飢えをしのいでいるだけだ。
しかし、ただの一度だけフランス料理のフルコースというものを味わったこ とがある。
たった5フラン(当時のレートで120円くらい)でフルコースが食べられる、という信じがたい情報を旅仲間から得て、モンマルトルの丘を下ったところにあるその店へすっ飛んでいった。
そこは何と、あのギネスブックにも載っている「世界一安くフルコースの食べ られるレストラン」であった。
中へ入ってみると、ほんの二十数席ほどの狭い店を切り盛りしているのは、腰の曲がったオバア サンひとり。
驚いたことにこのバアさんがこの店のオーナーであり、シェフでもあり、はてはセルヴーズ(給仕)でもソムリエでもあるのだ。
店の壁には、ギネスブックの紹介記事やら新聞の切り抜きやらが、誇らしげにべたべたはってあり、
「ワシの生きているうちは、ギネスブックの座は誰にも譲らんでー」
とキョーレツに語りかけていた。
こういう店ではとうてい味の方は期待できない。
一応フルコースであるからにオードブル、メインディッシュ、デザートに、パンとワインが付いてきたのであるが、出てくる料理の一つ一つがとんでもなくマズいのにはさすがにまいった。
その上このバアさん、厨房からちょくちょく出て来ては、客の脇に立って、食べ残している者に対して、
「食え!食え!全部残さず、食え!」
と、ガミガミわめくのである。
私もこのバアさんに叱られてはかなわないので、ミカンの皮を煮しめたような怪しげな前菜を、必死の思いでワインで胃の中に流し込んだ。
あれからもう30年近く経っている。
おそらく、このバアさんはもうこの世にはいないだろうが、まだあの店は残っているのだろうか?
そして、まだギネスブックに載っているのだろうか?
いつか機会があったら確かめてみたいと思う。