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2018-11-04

メルボルンで画家修行(3)バスキングやってみたが絵がまったく売れない…

オーストラリア画家修業、二日目

今日から、本格的にバスキング(大道芸)開始だ。

昨日は、人前で絵を描くなんて、ほとんど初めてだったので、どこかオドオドしていたが、今日は開き直ることにした。

選んだ場所はヤラ河のほとりのサウスバンクというエリア。

オシャレなレストランやショップが、川に沿って建ち並ぶ人気のウォーターフロントエリアだ。

多くの人で賑わう遊歩道に面した芝生に店を広げて、心地よい風に吹かれながらひたすら筆を握った。

描きながら、自分に言い聞かせた。

「ふだんは部屋でひとりで描いているけど、今日はたまたま天気が良いので外で描いているだけのハナシだ、、、」

「目の前にいるのはヒトではない、ただのジャガイモだ!」

つまり、自分はバスキング(大道芸)という特別なことをしている訳ではないので緊張する必要なんかない…とひたすら自分に言い聞かせていたわけだ。

確かに、こう言い聞かせていたら、目の前を行き交う人々が、、、ジャガイモに見えてきたわけではないが、少なくとも視線はまったく気にならなくなった。

しかし、そもそも、これではバスキングが成立するわけがない。

バスキングとは、いわば歌や芸を使って、見知らぬ他人と即興でコミュニケーションをとることだ。

如何に、多くの人々の関心を瞬時にこちら側に呼び寄せるかが、バスキングのキモである、といってもいい。

ひとり無言で、公園の芝生の上でただ筆を走らせているだけでは、とてもバスキングとは言えないし、こんなでは、歩く人たちがこちらを注目しないのも当然だ。

時々、立ち止まって絵を眺める人や、「素晴らしい!」と声をかけてくれる人がチラホラいるにはいたが、結局、絵の方はおろかポストカードも投げ銭もゼロだった。

オーストラリア画家修業、三日目

今日は、また場所を変えて、メルボルンの国立美術館前で描いてみることにした。

「街を歩いている人でアートに興味のある人はごく一部だ」 → 「でも美術館に来る客ならアートに関心がある人がほぼ100パーセントだ」 → 「アートに関心があるなら、オレの絵の価値もわかってくれるに違いない」

こんな単純な三段論法からだ。

オレは、美術館前の、広い歩道の街路樹が植えられている緑地帯に店を広げた。

美術館ではおりしもピカソ展が行われていた。

「よぉし!今日はピカソがライバルだ!」

オレは意気込んだ。

今日は心底期待した。

「ブラボー!YOUの絵は素晴らしい!今、美術館を見てきたばかりだが、ピカソよりYOUの絵の方がずっといいじゃあないか!」

こんな風に派手なリアクションがあることを、正直、期待していたのだ。

しかし、だ…

今日もほとんど反応がない。

ニュージーランドから来たハーフの日本人青年がミョーに親しげに話しかけて来たり、

「まぁ何て素敵な色なの!」と、シドニーに住む姉へのプレゼントにポストカードを買ってくれたおばあちゃんがいたり、、、

でも、それだけだ。

原画の方はサッパリ売れない。

「ヒコーキ代ぐらい稼いできてやるぜ!!」

こう啖呵(たんか)を切って日本を出てきたのだ。

一枚も売れなかった、、、では恥ずかしくて帰れないではないか。

オレは、ふだん日本で一枚1万円で売っているいちばん小さいサイズの原画を、60ドル(約5000円)まで値下げした。

それでも売れない。

ついには、30ドル!(約2500円)

それでもダメだ。

オレは打ちひしがれた思いで、路上を舞う枯れ葉を見つめた。

晩秋の冷たい風がオレの心まで寒くした。

「バスキングなんてやめてやる、、、グスッ(泣)」

オレは、自分の絵を売るのを諦めてさっさと店を畳むことにした。

パフォーマーでも無いし、もともとネクラなオレには、やはりバスキングは向いていないのだ。

それに、よ~く考えてみれば、こんな露店のゴザの上にまるでバザー品のように並んでいる絵に、偶然通りがかった他人がポン!と何千円も出すはずがないのだ。

たぶんバスキングでそこそこ稼げるのは、一枚千円程度の似顔絵書きか、スプレーやチョークで観客を一瞬で魅了して投げ銭をせしめるパフォーマンスアーティストなのだろう。

似顔絵も描けなきゃあ、パフォーマンスもできないこのオレが、バスキングで稼げるはずがない。

そもそもこんな露店で原画が高く売れるようでは、街中にあるギャラリーが全部廃業に追い込まれてしまうはずだ、、

というわけで、オレは当初の目的であったバスキングをすっかり諦め、明日からは観光にスイッチを切り替えることにした

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