画家、北岳に登る
北岳は、言わずと知れた日本で2番目に高い山である。
1番高い富士山は、もうすでに「山の神サマの頂点」、「ニッポンのシンボル」、さらには「世界遺産」という領域にまで達しているので、この際、番付表からはずすとなると…
北岳は、つまり日本の山の「横綱」ってことになる(なんか勝手な理屈だが…)。
それなのに一体どうしたんだ!このネーミングは!
ただ白峰三山の一番北にあるので”北岳”とは…まさしくそのまんま。
何たるイマジネーションの無さ!
ちなみに白鳳三山のまん中にあるのが間ノ岳。
こちらにしても可哀想だ。
三山の「間」にあるので、間ノ岳とは…
間ノ岳にしても、日本で4番目に高い山。
あの槍ヶ岳より高い山なのに。
ところで、山の名前の調べてみると、ただ方位を名につけただけの山というのは結構いくつかあった。
八ヶ岳には中岳や西岳があるし、槍ヶ岳周辺にも中岳、西岳、南岳がある。
南アルプスの荒川三山は、前岳、中岳、東岳。
ただし東岳だけは「悪沢岳」という非常にダークな別称もあってオレは断然こっちの方が気に入っている。
結局それらは、どっかの山から見て、西やら南にあるからそう名づけただけのことなのだろう。
北岳の話に戻ると、平家物語に「甲斐の白根」という呼び名で出てくるように、北岳そのものは結構古くから知られた山のはずなのに、いかんせん場所が悪かった。
あまりに奥に引っ込んでいるので、昔の人たちにとって日常的に見える山ではなかったのだ。
つまり昔の人が甲州街道あたりを歩いていれば、鳳凰三山やら、甲斐駒やら、八ヶ岳やらの白銀に輝く姿が自然と目に入り、
「すんげェ山があるもんだにィ。ありゃ、きっと神サマの化身だべェさ…」
と、いうことになり、地蔵岳やら、観音岳やら、権現岳やら、という名をつけて崇めたり、甲斐駒ヶ岳のように実際に信仰登山の対象としたりもしたが… しかし、見えないのだ、北岳は。
あまりに奥すぎて。
明治になってようやく日本にも測量技術が伝わり、北岳を測ってみたらドンデモなく高いことがわかった。
同じ頃、北岳にも近代アルピニズムの波がやってきて、さまざまなルートから初登頂されたが、ようやく一般の登山愛好家が気軽に登れる山になったのは、広河原まで林道が通ってからだ。
それでも、オレの中学校時代の地理の教科書には、まだ「北岳」ではなく「白根山」という名で載っていたことをおぼえている。
北岳という名が広く定着したのは、ホントここ数十年のこと、中高年の登山ブームが始まってからではないだろうか?
でも、百名山ブーム以来、北岳の人気は赤マル急上昇だ。
何たって日本で2番目に高い山。
しかもスーパー林道が通ったおかげで、たったの一泊二日で登れちゃうのだ。
おまけにそこはキタダケソウをはじめとする高山植物の宝庫。
人気が出て当然だ。
それにしても、この安易なネーミングは何とかならないものだろうか?
まぁ、いいか。
西や東ではなく、北であったのがせめてもの救いだ。
なんたって北は北極星の北、すべての方位の指針だ。
地図だってすべて北が上だ。
つまり北岳はすべての山の指針ということ。
そう思うことにしよう。