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2019-07-19

甲斐駒ヶ岳登山 画家が黒戸尾根からの登頂を誓うがすべって転んであきらめる

摩利支天(まりしてん)の大迫力!

はじめて甲斐駒(甲斐駒ヶ岳)に行った時のことだ。

頭上の霧の中から

ヌオオッ~!

・・・ と、顔をのぞかす摩利支天(まりしてん)のド迫力に、ぶっタマゲたおぼえがある。

「ホンマに、こんな山登れるんかいな~?」

…と、オレの足はまるで魔物にでもにらまれたようにビビってしまった。

それにしても、あの険しい岩稜を、「摩利支天(まりしてん)」とは、うまく名づけたもんだ。

本来の摩利支天の方はというと、光やかげろうの化身で武士の守り本尊。

もとはインドの民間信仰の神らしい。

各地の寺に安置されている摩利支天像とやらの画像をためしにググッてみると、こちらもなかなかの大迫力。

猪の上に乗り、すさまじい形相をした顔が3つつき、恐ろしい武器を持った手が6本もあるのだ!

街を歩いていて、たとえすれ違ったとしても、絶対に声をかけられたくないようなタイプの男である。

(すれ違うはずないか…)

そんな摩利支天に護衛されている武士というのが、甲斐駒というわけだ。

ヨッ、サムライ!男組!

そして甲斐駒のうしろには北沢峠をはさんで、優雅な花の衣装をまとった南アルプスの女王、仙丈岳がしゃなりと控えているというわけ。

このご両人の組み合わせも、なかなかにヨロシイ。

ピストン登山 わずか一日で甲斐駒に登る

オレは北沢峠の北沢長衛小屋にテントを張り、きっと多くの人がそうするように、甲斐駒と仙丈岳へそれぞれ一日ずつ、計二日間かけてピストン登山した。

でも、あの如何にも人を寄せ付けないようなイカツイ顔をした甲斐駒に、たった一日でヒョイと登ってしまったことに、な~んとなくチョンボをしたような後ろめたい思いを抱いた。

それもそのはず、ほんの数十年前に北沢峠までスーパー林道が開通したことによって、こんな芸当が可能になっただけのハナシ。

それまで人びとは、表参道とも言われる黒戸尾根コースを、今の倍以上の時間と労力をかけてエッチラコッチラ登っていたのである。

その黒戸尾根コースには、江戸から明治にかけて甲斐駒が信仰登山の対象とされた当時をしのばせる、仏像や鳥居などのさまざまなモニュメントが、今でも残っているらしい。

さらにこの黒戸尾根コースは、あの深田センセ(深田久弥)も、「日本百名山」に書いているように、標高差2400メートルの「日本アルプスで一番つらい登り」なのである。

…とここまで知ると、

「北沢峠から甲斐駒ピストン」なんて絶対にアカン!

断じてアカン!

甲斐駒に失礼じゃ!

…という気になってきた。

画家が黒戸尾根から甲斐駒登頂を誓う

そんなわけで、その翌年、アサヨ峰(南アルプス早川尾根にある2799mの山)に登り、尾根から朝焼けに輝く甲斐駒を眺めた時、オレは誓ったのだ。

「待ってろよ甲斐駒っ!この次は黒戸尾根からお前を登ってやるぜ!」

…と。

 しかし、その直後のことだった。

尾根を下る途中で、スッテンコロリン!

尾てい骨を岩に強打し、マトモに歩けないトホホな状態に…

残念ながら「黒戸尾根からの甲斐駒」は当分おあずけとなったのである。

甲斐駒ヶ岳登山の思い出をこんな絵にしてみました。
コチラが摩利支天(部分)
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