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2019-08-06

アイルランドへの旅 ケルト世界への旅

妖精が息づく国

司馬遼太郎の「街道をゆく・愛蘭土編」に確かこんな場面があった。

氏がアイルランドの田舎道をドライブ中、あたりに人家も何もない峠にさしかかったとき、忽然と

「レプラコーン(妖精)横断中」

と、書かれた道路標識があらわれた。

「奇妙な標識だな…」と気になり、その後何度も同じ場所を通ったが、標識が出ていたのはこのとき一度だけだった。

氏は考える。

「これはもしかすると、土地の人が、妖精が道路を横断する一定の時刻になるとこの標識を立てるのかもしれない…」

この短いエピソードを読んで、私はますますアイルランドという国とそこに住む人々に興味を示すようになった。

「ケルト」という、この短い言葉の響きの中に、実に神秘的で豊穣な精霊たちの世界を感じるのだ。

アイルランドには2ケ月ほど滞在したことがある。

首都ダブリンの郊外で、亭主がフットボール狂の中流家庭にステイしながら、毎日せっせと街中にある英会話学校に通ったのである。

ダブリンには、他のヨーロッパの街にあるような「華やかさ」はなかった。

いかにもヨーロッパの「はずれ」といった少々うら寂しい雰囲気が漂い、人々はどこまでも素朴かつ実直であった。

もともと私は、アイルランドになぞ来るつもりはなかった。

かの地を旅した親しい友人に、

「アイルランドはコーヒーが一杯たったの百円だ。英語を勉強するならイギリスではなく、物価の安いアイルランドだ!」

と、強くすすめられたのである。

ところが実際に来てみると、この友人の情報はとんでもない間違いで、安いのはコーヒーと紅茶ばかり、他の物価はどれもイギリスよりむしろ高いのであった。

でも私は、今ではこの友人に深く感謝している。

彼のおかげで、妖精が現代に息づく、この神秘の国を知ることができたのだから。

アイルランドの思い出

アイルランドには、忘れられない2つの思い出がある。

ひとつは、知的障害者が共同で生活するシュタイナー思想のコミュニティ(キャンプヒル共同体)をたずねた時のことである。

この日私は、コミュニティのメンバー数人と、クリスマスリースに飾る天然のコケをとるために、近くにある森の中へと分け入っていった。

うっそうと生い茂る木々。

いちめん濃緑色のコケにおおわれた岩や倒木。

私たちは、三々五々散らばって、せっせと手頃なコケをかき集めた。

あたりには不思議な静寂が支配していた。

ふと、手を安め、傍らの茂みに目をやると、今にもそこの雑草の間から妖精がヒョッコリと頭を出しそうな気がして、とつぜん怖くなったことを憶えている。

ケルト音楽を聞きながら目を閉じると、今でも私の脳裏には、このコケ狩りに出かけた神秘の森が彷彿とよみがえってくる。

西の果て、アラン島への旅

もうひとつの思い出は、アイルランドの西の果ての島、アラン島を旅したことだ。

アラン島は石と岩だけの荒涼とした地に、ただ風だけがうねりをあげている島である。

ドン・エンガスの断崖に立てば、はるか眼下に大西洋の荒波が容赦なく打ち寄せる。

作物は何も育たないので、男たちは果敢に海へとのり出す。

荒海にもまれて数知れぬ者たちが命をうばわれた。

遺体が波に運ばれて島に戻って来たとき、どこの家の者か識別できるように彼らは家ごとにセーターの編み方を変えた。

これがいわゆる、アラン編みのセーターの始まりだといわれている。

1934年に制作されたドキュメンタリー映画の名作「アラン」(ロバート・フラハティ監督)は、この島に住む人々の過酷な日常を淡々とカメラに収めている。

人々は岩を砕き、ワカメを堆肥代わりに敷き詰め、石垣の間に溜まったわずかの土を大事そうにかき集めて、畑の土を作る。

島で収穫できる作物は乏しいので、男たちは漁へと出ざるをえない。

荒波にもまれ、木の葉のように翻弄される手漕ぎの黒いカヤック…

ひたすら航海の無事を祈り、夫の帰りを待つ女たち。

この古いモノクロームの映画を見たとき、奇妙にも私は、なんとしてもこの島へ行ってみたい…と思ったのである。

私は、首都ダブリンから、アイルランドの西の端の町ゴールウェイまでバスで行き、そこから小さな双発機に乗って、アラン諸島の中でもいちばん大きなイニシュモア島へと渡った。

苦労してたどり着いたわりには、アラン島は本当に「何もない」島だった。

アイルランド人でさえ、好きこのんで、こんな最果ての地までやって来る人は稀(まれ)であると見え、他に観光客の姿さえ見ることがなかった(今では意外と人気の穴場になっているらしい)。

私は、荒波が打ち寄せる断崖に立って、どうしてはるばるこんな何もない所までやって来たのか?とあれこれ理由を探ろうとしていた。

何故かここが、「アイルランドの原風景」であり、「世界の果て」でもあるように思えてならなかった。

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