インドの農村の野外映画会
ある女性を訪ねて、インド西部の農村へ
インド西部の、何もない農村に、一週間ほど滞在したことがある。
有機農業を学ぶために訪日していたインド女性と、あることがきっかけで知り合い、彼女がインドに帰国した後、訪ねていったのである。
名前はもう忘れてしまったので、シャンティとでもしておこう。
シャンティは、その小さな村の共同体で生活を共にしながら、日本で学んだ有機農法をメンバーたちに教えていた。
まだインターネットもなければ、携帯電話さえない時代だ。
国際電話は驚くほど高いので、彼女とのやりとりは手紙しかなかった。
彼女から送られてきた一通の手紙だけをたよりに、地図にも載っていないような小さな村を訪ねるのは、正直言ってかなり難儀を強いられた。
インド名物の、頭上の網棚にまで人が乗っている超満員電車に揺られて、地方の町にたどり着き、そこからは、今にもタイヤがはずれそうなオンボロローカルバスに乗りかえた。
バスの乗客は、もの珍しそうな視線を私に向けた。
その視線は、
「見慣れない東洋人が、このような田舎に、いったい何の用があって来たのか…?」
…と語っているようだった。
かれこれ3時間以上は走っただろうか?
突然、運転手が、ここで降りろ!と言った。
そこは、山と畑以外は何もないような寒村だった。
農村に滞在して、農作業を手伝う
私は無事にシャンティと再会をすることができた。
翌日からその共同体に滞在しながら、ほとんど言葉も通じない中、サリー姿のオバさんたちに混じって、畑の雑草取りや野菜の収穫を手伝った。
インドの農作業はのどかなものだ。
浅黒い顔をしたオバさんたちは、畑に座り込んで、手を動かすよりも、おしゃべりの方に夢中で、時おり私の方を見ては、いったい何が面白いのかケラケラと笑い転げるのであった。
そして、夕方にもなると、空が真っ赤に染め上がり、燃えるようなまん丸い太陽が、地平線の彼方に静かに沈んでいくのが見えた。
農村の野外映画会
ある日、畑作業で親しくなった青年に、映画会にさそわれた。
「今夜、隣の村で映画会が催される。ぜひいっしょに行こう!」
というのである。
あたりは映画館どころか、いちめん小麦畑の他は何もない田舎の農村地帯である。
どこかに村の公民館か集会場のような建物でもあるというのだろうか?
私と青年は、ヤギの子や鶏までが乗車している、小さなバスにすし詰めになって、ひと山越えて隣の村までいった。
村の入り口に近いところでバスを降りた頃には、すっかりあたりは薄闇に包まれていた。
そこから村の中心地までは、まだだいぶ歩かなければならない。
私たちは、月明かりをたよりに真っ暗な畑の中の砂利道をたどった。
途中、道のすぐ端でしゃがんでいる男につまずきそうになった。
闇の中、目をこらしてみると、男は野糞(のぐそ)をしている最中であった。
しばらく行くと今度は、前方の闇の中から巨大な壁のようなものがあらわれ、ギクリとさせられた。
私は、巨大なゾウにあわや正面衝突しそうになったのである。
そんなふうにして、ようやく村の中心まで辿り着いた。
どこを見渡しても映画館どころか、公民館らしき建物も何もない。
村の広場にただ長い棒が二本立てられ、その間に大きな白い布が張られているだけである。
どうやらそれがスクリーンであるようだ。
やがて映画会が始まると、ところどころ穴が空いたつぎはぎだらけのその白い布に、モノクロームの古い映像が映し出された。
村人たちは総出で集まり、食い入るような真剣なまなざしで、その粗末な布のスクリーンに見入っていた。
風で布が揺れると、スクリーンの中の女優の顔も大きく歪んだ。