ヒッチハイクで北海道をめざしたこと
カネが無いのでヒッチハイクをした
20代の頃、何度かヒッチハイクをしたことがある。
私は当時、ビンボー大学生で、絶対的にカネが不足していたのだ。
たとえば、部活の試合が大阪であった時のこと。
行きは電車で行ったはいいが、宿代などを支払ったら、静岡の下宿先まで戻る電車賃が無くなってしまった。
仕方なく、同じくカネが無い友人と二人で、東京方面へ向かうトラックを何台かヒッチハイクして、静岡までタダで帰ってきた。
静岡から、ヒッチハイクで北海道を目指したこともある。
大学が夏休みに入り、暇を持て余していたこともあってか、飲んだ勢いで話が盛り上がり、友人と三人で、突然、明日から
「ヒッチハイクで北海道まで行ってみよう!」
ということになった。
ただ、三人いっしょにヒッチハイクするだけでは、面白みに欠ける。
どうせ北海道まで行くなら、三人バラバラになって、誰がいちばん早いか競争しよう。
とりあえず、北海道の手前、本州最北端、下北半島の恐山をゴール地点にしよう。
そこまで、ヒッチハイクだけでいちばん早くたどり着いた者が勝ち!という話になった。
題して「ヒッチハイクバトル」。
ルールはいたって簡単。以下の3つだけだ。
①翌日の深夜0時までに下北半島の恐山の湯治場の脱衣所に集合すること(もちろんここで野宿するため)
②ヒッチハイクだけでいちばん早くたどり着いた者が勝ち
③深夜0時に間に合いそうもない場合のみ、公共交通を使用しても可
当時は、スマホやインターネットはもちろん、携帯電話さえなかった時代だ。
途中で互いに連絡を取り合うことなど不可能に等しい。
とにかく、決められた時間までにゴール(集合場所)にたどり着くしかない。
それにしても、今から思い返すと、「恐山の湯治場の脱衣所に集合」とは、なんてアバウトであったことか…
ヒッチハイクバトル開始!
午後3時。
先程のルールだけを決めると、私たち三人は鉄柵をよじ登って乗り越え、静岡市内の高速道路のサービスエリアへと侵入し、ヒッチハイクバトルを開始した。
制限時間は約35時間。
翌日の深夜0時までに何としても、本州最北端まで行かなければならない。
まず、私たちはそれぞれ、サービスエリアの駐車場にとまっている車に片っ端から声をかけることから始めた。
はじめのうちは何台も断られたが、そのうち各自が車をゲットして、次々と東京方面へと旅立っていった。
私も首尾よく神奈川まで行く乗用車をつかまえることができた。
この車に海老名サービスエリアまで乗せてもらった後、今度は、埼玉まで行くトラックをつかまえた。
このトラックの運転手は、ビンボー学生を不憫に思ったのか、夕食までご馳走してくれた。
こんなカンジで、ほとんど夜通し、さまざまな車を乗り継ぎ、私はひたすら北へ北へと向かった。
長距離トラックのコックピットから眺める朝焼けには格別のものがあった。
無事ゴールに辿り着くことができたか?
二日目の午後3時。
ここまで何とか順調に来たものの、盛岡(岩手県)を越えたところで突然、高速道路がプツンと終わりになってしまった。
当時は、ここまでしか高速道路がなかったのだ。
一般道に下りると、たとえヒッチハイクできたとしても走る距離が短い車ばかりで、途端に前へ進めなくなってしまった。
そうこうするうちに雲行きが悪くなり、突然の雷雨がやってきた。
不覚にも傘をもって来なかった私は、あっという間に全身ビショビショのぬれねずみ状態。
近くのコインランドリーに飛び込んで、素っ裸になって濡れた衣類を乾燥機にかけた。
寒さに震えながらガタガタまわる乾燥機を眺めていたら、だんだん気持ちが萎えてきた。
時計を見ると、すでに夕方の6時をまわっている。
ヤバい、このままでは、深夜0時までに恐山に辿り着けそうもない。
ここで私はリタイヤを決意した。
そうなると話は早い。
私は、乾いた衣類を着込むと、バスと電車を乗り継ぎ、最後はタクシーを飛ばして、なんとか予定時刻ギリギリに恐山まで辿り着くことができた。
ところで、恐山というのは、深夜にウロウロするような場所ではなかった。
何しろ、霊媒師が死靈を呼び寄せる「イタコの口寄せ」という儀式で有名な場所だ。
とてもこの世とは思えないような荒涼とした岩稜帯が広がり、不気味に静まる池のほとりには、誰のしわざか小石がいく段にも積み重ねられている。
まるであちこちに死靈が彷徨っているようだ。
そんな中、ポツンと立つ小さな建物を見つけた。
きっと、これが湯治場に違いない。
おそるおそる戸を開けると、薄暗い明かりの中、脱衣所の床に二人の友人が寝袋に入って転がっている姿が見えた。
その時、このヒッチハイクバトル、私が最下位であることを知った。